彼が再び顔をあげたときには、松井田の姿はどこへ行ったのかもう見えなかった。あれは幽霊だったのかとも思ったが、そこら一面にぐっしょり水にぬれていて、沼地から匍い上って来たのを証拠立てていた。彼は蒲の穂がガサガサすれ合うのを聞くと急に恐しくなって夢中で駈け出した。 其の日はこれですんだが、翌日は、やはりこの細道の電柱のかげから、松井田が現われた。今度は意外にも立ち消えはせず、彼の方へ向って、ノソノソ歩いて来るので、彼は懸命の勇気をふるって、 「松井田君! おい、松井田君じゃないか?」 と声をかけたのだが、その怪人物は、一言も発しないで、相良十吉の側をすれちがうと、海辺の方へヨロヨロと歩み去るのであった。 次の日は、夜に入って、彼が月島の自宅から、銭湯に行ってのかえりに、小橋の袂から、いきなり飛び出して来た。
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