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十三年(庚辰) 一八八〇

○一月、新富座にて各新聞記者を招待して劇評を依頼す。劇場に新聞記者招待の始めなり。

○二月三日、日本橋区橘町より出火し、久松座は新築後半年にして類焼す。

○三月、狂言作者二代目河竹新七向島の梅屋敷に初代新七の石碑を建立し、荵塚という。

○十一月、新富座の二番目に「木間星箱根鹿笛」を初演。神経病の怪談にて、菊五郎の娼妓おさよ、好評。


十四年(辛巳) 一八八一

○二月三日、三代目中村翫雀、大阪に死す、四十一歳。大阪の俳優なれど、東京にても評判好かりき。初代中村鴈治郎の父なり。

○四月、新富座にて「天衣紛上野初花」を上演。河竹新七がその旧作を改訂せるものにて、団十郎の河内山、菊五郎の直侍、左団次の金子市之丞、半四郎の三千蔵、梅五郎の按摩丈賀など、いずれも無類の出来と賞讃せらる。

○六月二十八日、三代目瀬川如皐死す、七十六歳。江戸末期には黙阿弥と対抗する著名の狂言作者にて、「佐倉宗吾」「切られ与三郎」「うわばみお由」など、その代表作と称せらる。

○六月、新富座にて尾上梅五郎は名題に昇進し、四代目尾上松助と改名す。

○八月二十五日、北海道官有物払い下げ問題について、福地源一郎、沼間守一らが、新富座において、政談演説会をひらく。劇場を演説会場に使用せし嚆矢とす。

○十二月、新富座の二番目に「島鵆月白浪」を初演。二代目河竹新七が引退の作にて、菊五郎の明石島蔵、左団次の松島千太、いずれも好評。新七は三代目を門弟の竹柴金作に譲りて、おのれは古河黙阿弥と改む。時に六十六歳。

○十二月、柳亭燕枝、春風亭柳枝、桂文治らが、春木座にて落語家芝居を催す。案外に成績の好かりしために、その後もしばしば催したり。

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